【霞会館】鹿鳴館の流れをくむ現代の華族の社交場に行ってみた
【霞会館】鹿鳴館の流れをくむ現代の華族の社交場に行ってみた

【霞会館】鹿鳴館の流れをくむ現代の華族の社交場に行ってみた

かつて日本一の高さを誇った霞が関ビル(東京都千代田区)。その34階にひそかな華族の社交場があるのをご存知ですか?その名も「霞会館」。一般人立入禁止のこの場所に、たまたま行く機会がありました。

 

華族とは、早い話が日本版貴族の事です。そんな華族の末裔たちが人知れず集うのが「霞会館」。戦前から変わらない貴族の社交場です。

「霞会館」の会員資格は皇族、華族の当主と、将来当主となる20歳以上の長男だけ、一般人は会員の許可がないと利用できません。

もちろん自分は会員ではありません。この日は、藤原家の血筋を引く高名なお医者さんとの打ち合わせに来ました。

高級ホテルのようなフロアの執事風の方に面会用の個室に案内されました。残念ながら、社交フロアは拝見できず。でも窓からは、はるかに東京が一望できます。

飾り棚を見ると、菊の御紋の入った壺やら花瓶のようなものが、さりげなく並んでいます。天皇陛下も、年に数回おいでになるそうで、その時はエレベーターが全面停止になるようです。

「霞会館」は、あの文明開化のシンボル「鹿鳴館」を経て現在の霞が関ビルに移りました。「霞会館」は、この霞が関ビルの地主でもあります。

華族とは、明治時代に成立した身分の一つです。

明治政府は、国民を「華族」「士族」「平民」の三つの階級に分けました。さらにその上に位置するのが「皇族」です。華族は、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五つに分けられました。

華族になった家は、公家、大名、大寺院の僧侶、大神社の宮司、明治維新の元勲など約1000家ほど。全国民中の0.01%くらいです。

昭和22年に、この身分制度は廃止されましたが、いわば「現代の鹿鳴館」として「霞会館」は残り、現在も隠然たる勢力を保っています。

身分制度は表面上無くなっても、千年くらいでは簡単に消滅しないものです。

今でも、旧華族は、名門家系の象徴であり、皇族の血筋を持つ方も多くいます。

このような一般人には見えない背景を考えると、「天皇陛下の生前退位」がすんなり決まらないのも納得できるような気がします。